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 アメリカ新商業施設論 
フロー化する都市   
執筆=石原 武政教授(大阪市立大学大学院経営学研究科教授)
私が地域小売業に関心を持ち始めてしばらくした頃だから、15年か20年前の話になる。衰退しはじめた商店街を何とかすべきではないかと考え、提案しはじめた頃だった。ある新聞記者の取材を受けて、有名な評論家の意見だとしてこんな声を紹介された。

 「都市の中心部はとにかく地価が高い。それに権利関係が錯綜している。いまこんなところに手をつけようとしても、何もできない。いっそ、郊外をもっと開発し、中心部は放っておけば衰退して地価が下がり、権利も主張しなくなる。その時に一気に再開発したらいい。その方がよほど早い。」

 これは私には暴論にしか聞こえなかった。中心部には人びとの営みが一杯に残され、歴史の蓄積がある。機能性という点だけから見れば、最新の施設にかなわないところもあるが、まちの風格と味わいがあり、私たちを安心させる何かがある。まだバブルの最後だったのかもしれないが、何とも乱暴な意見ではないか。

 でも、ふり返ってみて、この20年、結局起こったことはこの評論家の言うとおりだったのだろうか。中心市街地活性化法ができ、多くの都市でTMOも立ち上がってはいる。しかし、それでも一向に郊外開発に歯止めはかからない。それどころか、郊外にさらにもっと大きな施設が開発されようとしている。中心部の取り組みもこの郊外の一撃で簡単にひっくり返されるし、その恐怖感が中心部での取り組みを遅らせる。

 では郊外に本当のまちはつくられているのかというと、これはかなり疑わしい。店舗のライフサイクルという考え方がある。早く建設費を回収して、いつでも閉鎖できるようにとの思いが込められ、勢い建築費は抑えられ、安普請の店舗が表面だけを飾り立てる。そして、10年も経たずに店舗は当然のように捨てられる。

 都市を、そして郊外をも消耗品のように扱う人が時流に乗ってお金を稼ぎ、自宅では邸宅で本物の高級品を愛でる。その一方で、中心部で都市のストックを懸命に守ろうとする人が居酒屋でエネルギーを発散するという構図は、どうしても理解できない。都市にもう一度ストックの概念を持ち込みたい。そうでなければ、私たちは未来に対して論争の種すら残すことができなくなる。


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